2011年、日本は震災の影響で陰鬱な空気に支配されていました。この記事を読んでいる方の中にも、直接的、間接的に被害を受けた方がおられるのではないでしょうか?
そんな暗いムードを打ち破ってくれたのが、「なでしこジャパン」でした。
女子のワールドカップ優勝という、とてつもない快挙をやってのけたのです。
その立役者は、もはや日本女子サッカーのレジェンドといっても過言ではない、澤穂希選手です。ほとんどの試合で勝負を決定づける得点やアシストを決めた澤選手は、大会MVPと得点王の2冠に輝いています。
15歳ですでに日本代表としてデビューしていた澤選手の経歴は、
他の追随を許さないほど圧倒的です。
先述のワールドカップでのタイトル以外にも、大きな大会で個人タイトルを獲得していますし、クラブでは女子サッカー最強のアメリカでのプレー経験も豊富です。そしてなにより年間最優秀選手、バロンドールを獲得しています。
しかし、そんな澤選手でも苦しい時期を経験してきました。今回は澤選手が最も悩み、苦しんだ時代を2つ、紹介したいと思います。
叶わなかった結婚
現在独身の澤選手ですが、かつて結婚寸前までいったことがあります。
それはアメリカのクラブチーム「アトランタ・ビート」に所属していた時のことでした。
澤選手は、当時チームのスカウトをしていた黒人男性ジェームズ・ハリスさんと交際していました。同棲までしていましたし、家族や代表メンバーにも紹介していたことから、本気で結婚まで考えていたのだと思います。
しかし、二人は別れることになってしまいます。
きっかけはアトランタ・ビートの経営難による、チーム休止でした。澤選手はクラブを離れることになり、ジェームズさんも部署異動が待っていました。
プレーを続けるならば帰国するしかないことから、澤選手は結婚して引退することを考えたようです。しかしジェームズさんは澤選手の才能を惜しみ、帰国して現役を続けるよう勧めました。
もしこの時に澤選手が結婚していたならば、その後の栄光も、なでしこジャパンのワールドカップ制覇も、なかったのかもしれません。
澤を苦しめた病気とは?
その災難は、なんの前触れもなく訪れました。
ワールドカップを制し、まさに絶頂期にあったなでしこジャパンはポルトガルで行われたアルガルベカップに挑みました。もちろん当時も中心選手だった澤選手ですが、大会中に具合が悪くなりました。最初は風邪かと思われましたが、原因は「良性発作性頭位めまい症」という病気でした。
この病気の症状は、文字通りめまいを起こすものです。特に身体を動かすとよく起こるのだといいます。
良性とある通り、症状は決して重くなく、安静にしていれば自然治癒で治すことができます。
しかし、ことアスリートにとっては致命的な病気といえます。実際澤選手はアルガルベカップに出場することができず、チームも優勝を本命視されながら、決勝で敗れてしまいました。
病気が原因とはいえ、何もできなかった澤選手の無念さは、どれほどのものだったのでしょうか。