宮崎勤の母親や家族の現在は?父親は自殺?加害者家族の末路とは

青葉真司 生い立ちのように他人の壮絶な人生を暴露している本やメディアがあると、ついつい見てしまう人はいませんか?この記事では主に宮崎勤の壮絶な人生を紹介しています。父親や母親さえも悪い意味で巻き込んでしまった事件があるので、加害者家族の情報も交えて紹介しています。果たして何が宮崎勤の人生をそこまで大きく変えてしまったのか、気になる人はぜひ見て行ってください。

宮崎勤はどんな事件に巻き込まれてしまったの?

宮崎勤は事件に巻き込まれた被害者ではなく、1988年から1989年のおよそ1年間に東京都と埼玉県で4人の女性を殺害した殺人犯です。事件は既に裁判所で死刑判決が下され、死刑も執行されています。本来日本では死刑執行までにかなりの時間を要するものです。しかし、事件当時は判決から2年という短期間で死刑が執行されたことも一部でかなり話題にされていました。

事件をきっかけに起こった衝撃の事実とは

事件をきっかけに、宮崎勤の父親は自殺してしまったことが分かっています。逮捕後のできごとだったため、獄中でその事実を聞くと宮崎勤は罰が当たったと父親の死を冷静に語っていたそうです。事件発生直後の宮崎勤の父親と母親は息子がこんなことをするはずがないと思っていたらしいです。そのため、警察が自宅を捜査したときには全面的に協力していたようで、息子の部屋を見れば無実を証明できると確信していたようですね。

変わっている宮崎家の家族感とは

一見すると宮崎勤だけが変わっているように思えますが、実は宮崎家自体に問題があったと考えられています。というのも祖父は自分の職場の女性や近所の女性に手を出したり、そんな様子を母親が問題視して、近所の学校のPTAにも相談していたそうです。徐々に崩れていく家族に、宮崎勤も感化されてしまったのか、祖父が亡くなったときはその骨を持ち帰って食べていました。さらに、愛犬の鳴き声を録画したテープを何度も再生したりと、上記を逸した行動を取るようになり、この地点で家族は完全に壊れてしまいます。

宮崎勤の家族は現在何をしているの?

宮崎勤の親族は現在いかのように職場を退職したり離婚したりと散り散りの運命を辿っています。

  • 宮崎勤の父親:自宅の売却金を遺族が受け取るように手配し自殺
  • 宮崎勤の母親:親族の遺体受け取り拒否
  • 長女:婚約破棄
  • 次女:看護学校自主退学

特に、母親の親族へのダメージが大きかったようで、警察官や教師をしていた母親の兄の2人の息子は退職に追い込まれています。さらに自宅は売却されたものの、再利用方法が思い浮かばない上に、元殺人犯の家だけあって中々買い手がつかないようです。

宮崎勤が事件を起こしたきっかけは何?

宮崎勤は事件直前に祖父を亡くしており、これが事件発生のきっかけになったと言われています。祖父は宮崎勤に仕事先の斡旋をしたことがあり、他にもかなり優しく接してもらっていたことがわかります。しかし、そんな祖父の優しさは仕事結果に反映されることはなく、職場仲間とのトラブルが絶えなかったそうです。そうして外界との関係を徐々に断ち切っていき、ついには自室にこもることが多くなっていく中、優しくしてくれた祖父が亡くなってしまいます。ただでさえ不安定だった精神状態がここにきて爆発してしまったのでしょう。不幸にもその直後に第一の犯行に及んでしまいます。

宮崎勤の犯行の時系列を紹介

宮崎勤が犯した犯行は以下の通りです。

  • 第1の犯行1988年8月22日:当時4歳の女の子を殺害
  • 第2の犯行1988年10月3日:当時7歳の女の子を殺害
  • 第3の犯行1988年12月9日:当時4歳の女の子を殺害
  • 第4の犯行1989年6月6日:当時5歳の女の子を殺害

事件発生当時は連続殺人事件だという発想がほとんど無かったらしく、第1と第2の事件の共通点もなかったため、発生当時40人近くいた捜査員の規模は徐々に縮小していったそうです。さらに、操作規模が縮小するきっかけになったのが第3の事件発生です。しかし、宮崎勤はそんな捜査態勢をあざ笑うかのように犯行声明を出します。ここにてようやく連続殺人事件との認識が深まり、本格的な連続殺人事件の捜査が始まります。